2022年1月19日水曜日

私の不動産投資

(2012年11月17日の投稿です)

このブログを読んでいる人たちの中には、不動産投資にも関心がある方がいると思うので、私の不動産投資に関する考えを書こう。

結論を先に言えば、金融資産が数億円程度のサラリーマンには、不動産投資をまったく勧めない。理由は、私のたった1回の経験からだ。不動産は資産規模が、株式と違って大きいので、失敗は許されない。

自分に人的価値があれば、自分のためにも、社会のためにも、不動産投資などせず、まっとうな仕事をしよう。あるいは、金融資産が十億円以下の投資家の場合、オプション取引のほうがはるかにいいと断言できる。

私は最初から不動産投資をしようと思っていたのではない。東大を卒業した頃(1984年)は、世の中はバブルの頂点に向かって突き進んでいた頃だ。もちろん、当時はいつ頂点が来るか知る由もなかったし、そもそも頂点があるとは、誰も思っていなかった。マスコミや評論家、証券会社のリサーチなどでも、地価はこの先も上がり続けるという論調ばかりだった。

経済や投資についての知識がまったくなかった私は、「今、マンションを買わなければ、この先、永遠に買えなくなってしまう」と愚かにも思った。仕事は、当分の間、東大でするつもりだった。大学での仕事が終わるのはだいたい午前0時過ぎなので、東大から電車で1時間20分の所にある横浜の自宅から通うのは難しい。それで、私は東大の近くに分譲マンションを探した。1987年の頃だ。賃貸という考えもあったが、マンションの値段が毎年どんどん上がっている現状では、資産として、今マンションを買ったほうがいいだろうという、漠然とした「投資勘」があったということだろう。結果として、それは間違いだった。

東大のすぐ近くは地価がとても高くて手が出なかったが、東大から車で北または東に10分も走れば、地価は半値ぐらいになる。私はそこにある新築マンションを買った。その付近は、狂乱地価で町工場などが取り壊され、他にも新しいマンションが建ちつつあった。私が買ったマンションは、準工業地域にあったことと、一部転借権が付いていたため近隣の相場より2割ぐらい安く思えたので、私は6800万円で買った。70平米の2LDKだ。当時、私はアルバイトで週2回、ある銀行に行っていたが、その銀行が好条件で(店頭金利よりは低金利で)、ほぼ全額を貸してくれた。

私はそこに住み、そこから東大に通った。しかし、その数年後に、医局の人事で、都内の東大系列の病院に勤務することになった。その病院での勤務は比較的楽で、重症患者がいない限り、午後7時か8時には、仕事が終わった。もともとの私の自宅は、その病院から1時間ちょっとのところにあったので、そこから十分に通勤できる。私はマンションのローンを抱えていたので、買ったマンションを人に貸して、ローン返済の足しにしようと思った。

地元の不動産屋さんに賃貸の仲介を依頼したら、すぐに借り手が見つかった。○○というゴルフ会員権を売買している、いかにもバブル全盛期らしい社員2人の会社が「寮」として借りてくれた。賃料は、管理費などを除いて、月24万円だ。これが相場だったが、表面利回りは3.5%に過ぎない。購入に要した諸費用やローンの金利を考慮に入れれば、実質利回りはこれより大分低い。もちろん、ローンの返済に大いに助けにはなったが。

やがて、バブルが弾けた・・・。

当初は毎月決められた日にきちんと振り込まれていた家賃が、次第に、1日遅れ、数日遅れ、1週間遅れるようになった。1週間たっても、家賃が口座に振り込まれていないことがわかると、さすがに黙っていられない。私は仲介してくれた不動産屋さんに電話して、事情を話した。不動産屋さんは、最初の2,3回は催促の電話をしてくれたようだが、家賃の支払いが遅れることは、改善されなかった。不動産屋さんに電話しても、のらりくらりでまったく誠意をもって対応してくれないので、私は直接借主本人に電話をするようになった。電話をするたびに、「明日払います」などと適当なことを言っていた。家賃滞納はだんだんひどくなり、ついに1ヶ月も支払いが遅れるようになった。

地価の狂乱的な上昇は止まり、下がり始めていたが、多くの識者はこれは一時的な調整で、しばらくすればまた上昇するだろうと話していた。 ちょうどその頃、ある人から電話がかかってきた。ある製品を作っている中小企業の社長から、私が所有しているマンションを譲ってくれと頼まれているという話だった。私は、相手を本当に信じていいのか、騙されるのではないかという気持ちが少しあったし、私も地価がこれから下がるとは予想していなかったので、この話はあまり乗り気ではなかったが、とにかく一度会いたいということなので、会うことにした。私は、まだ20代の若造だったので、少しでも相手になめられないようにと思い、バイトで行っていた銀行で会うことにした。私のバックには銀行がついているから、私を騙すことはできないということを暗に示したかったのだ。

中小企業の社長は実母を私のマンションに住ませたいということだった。私のマンションを選んだ理由は、母は足が悪いので、火事など万が一の時にも階段で降りることができる2階の部屋を探していたとのことだった。相手は9000万円の金額を提示してきた。6800万円で買ったので、税金やローンの利息など諸経費を考えても、損はしない金額だった。今、マンションを借りている人との契約更新まで4ヶ月あった。社長は、その間の家賃を全部肩代わりするので、契約は更改しないと、借主を説得してほしいいうことだった。家賃の滞納が続いていたので、ちょうどいい契機かもしれないとも思った。 そこで、その話を借主にしたところ、意外にもその提案には乗らなかった。借主は、今後家賃はきちんと払うので契約は更新したいと言った。借主がそういう以上、契約を更新しないことは困難だと、当時の私は思った。弁護士に相談すれば、スムーズに引き渡せたかもしれなかったが、私は東大に戻っていて(東大のすぐそばの賃貸マンションに住んでいた)、忙しかったので、この件であまりもめたくなかった。

私は、現状維持を選んだ。売るのをやめて、今住んでいる人との契約を更新することにした。ただし、家賃の支払いが1ヶ月も遅れている状態が続いていたので、賃貸契約を公正証書で行うことを条件にした。相手は、その条件を了承したので、彼と私で公証人役場に行って、公正証書を作った。その時借主にはじめて会ったのだが、40代の、外見はふつうのサラリーマンという感じの人だった。公正証書で賃貸契約を更改したにもかかわらず、家賃の滞納はまったく改善されなかった。1ヶ月家賃の支払いが遅れて、電話をしても、相変わらずの対応だったので、私は次の手段に出た。

まず、配達証明・内容証明郵便を送り、家賃支払いの催促をしたという証拠を作った。それでも、家賃は支払われなかったので、公証役場に電話をして、強制執行をすることにした。借主(私が貸しているマンションとは別の所に住んでいた)の家に執行官は行き、家財道具を差し押さえた。すぐに借主の奥さんから電話がかかってきた。「主人が会社を作って、マンションを借りていることはまったく知らなかった。しかも、そのマンションには愛人を囲っていたこともはじめて知った。それで主人と離婚をした。差し押さえられた家財道具は、私のものなので、差し押さえはやめてほしい」と懇願された。私は、「離婚した証拠を見せてくれれば、差し押さえは解除する」と言った。やがて離婚したことを示す戸籍謄本が送られてきた。偽装離婚の可能性も考えたが、これ以上深入りしたくなかったので、私は差し押さえを解除した。私が貸していたマンションに行くと、もぬけの殻だった。敷金2か月分があったので、金銭的な被害は最小限で済んだ。

その後、3人の賃貸人に部屋を貸した。最初は、2,3か月で賃貸人が決まっていたが、やがて、空室が半年になり、1年になった。賃貸料も最後には月15万円(管理費込にしたので、実質13万円程度)まで減額して、やっと賃貸人が決まった。しかし、その賃貸人は、2年後の契約更新はしないで、また空室になった。

経年変化で、ガスコンロの故障、水栓金具の交換、エアコンの入れ替えなど、所有者が手配し、管理しなければいけないことが多くなり、昼間仕事をしている私には、面倒だった。もちろん、お金さえ払えば、不動産屋さんが代行してくれるが、それは馬鹿らしく思えた。また、賃貸人が退室時には、最初のころは、敷金で壁紙などの張替などができ、家主の出費は0で済んだが、やがて慣行が変わり、経年劣化の場合は家主の負担でしなければならなくなり、退室のたびに出費するようになった。

結局、不動産を所有することにメリットはないと判断し、売ることにした。ふつうは、仲介で売却するが、私は半年、1年も待つのが嫌だったので、不動産会社に直接2000万円で売却した。18年間所有していたことになる。結果として、この不動産投資が金銭的には失敗だったことは、検証するまでもない。不動産投資したいなら、よほどの暇人か資産家でない限り、REITに投資したほうがいいだろう。

ちなみに、そのマンションは、不動産会社が内装のリフォームをした後、2800万円で売りに出され、2か月ぐらいで売れたようだ。