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2023年2月23日木曜日

IB証券口座の強制閉鎖(2)

IB証券の口座解約は個人口座の時に2回経験しています。いずれもweb siteから簡単に解約できました。

今回法人口座の解約にあたり、IB証券のweb siteには「口座の解約をご希望のお客様は、解約前にすべての残高(現金およびポジション)が出金または移管されていることをご確認頂く必要があります。」と書いてあるので、ポジションを解消した上で「送金可能額」と表示された現金を日本に送金し、解約をリクエストしました。翌日、残高が0になっているのを確認するために口座にログインすると、まだ現金が残っていました。それでその再度「送金可能額」と表示された現金を送金しました。

翌日またweb siteにアクセスすると今度は「口座解約リクエストは保留中です 。エラー処理 - カスタマーサポートにご連絡ください。 口座に現金、未払い利息および未払い配当金以外の残高があります。 口座にマイナス資産があります。」とのメッセージ。仕方がなく、日本から不足額+αを4500円の送金手数料をかけて送金しました。

翌日web siteにアクセスしようとすると、アクセスできなくなっていました。解約はできたようです。しかし、IB証券のweb siteによると、解約後もしばらくアクセスできるはずですが、なぜアクセスできないのでしょうか?ステートメントを印刷しなければいけないので、明日か週明けに電話で問い合わせしようと思います。IB証券もだいぶバタバタしているようです。

2022年1月19日水曜日

私の不動産投資

(2012年11月17日の投稿です)

このブログを読んでいる人たちの中には、不動産投資にも関心がある方がいると思うので、私の不動産投資に関する考えを書こう。

結論を先に言えば、金融資産が数億円程度のサラリーマンには、不動産投資をまったく勧めない。理由は、私のたった1回の経験からだ。不動産は資産規模が、株式と違って大きいので、失敗は許されない。

自分に人的価値があれば、自分のためにも、社会のためにも、不動産投資などせず、まっとうな仕事をしよう。あるいは、金融資産が十億円以下の投資家の場合、オプション取引のほうがはるかにいいと断言できる。

私は最初から不動産投資をしようと思っていたのではない。東大を卒業した頃(1984年)は、世の中はバブルの頂点に向かって突き進んでいた頃だ。もちろん、当時はいつ頂点が来るか知る由もなかったし、そもそも頂点があるとは、誰も思っていなかった。マスコミや評論家、証券会社のリサーチなどでも、地価はこの先も上がり続けるという論調ばかりだった。

経済や投資についての知識がまったくなかった私は、「今、マンションを買わなければ、この先、永遠に買えなくなってしまう」と愚かにも思った。仕事は、当分の間、東大でするつもりだった。大学での仕事が終わるのはだいたい午前0時過ぎなので、東大から電車で1時間20分の所にある横浜の自宅から通うのは難しい。それで、私は東大の近くに分譲マンションを探した。1987年の頃だ。賃貸という考えもあったが、マンションの値段が毎年どんどん上がっている現状では、資産として、今マンションを買ったほうがいいだろうという、漠然とした「投資勘」があったということだろう。結果として、それは間違いだった。

東大のすぐ近くは地価がとても高くて手が出なかったが、東大から車で北または東に10分も走れば、地価は半値ぐらいになる。私はそこにある新築マンションを買った。その付近は、狂乱地価で町工場などが取り壊され、他にも新しいマンションが建ちつつあった。私が買ったマンションは、準工業地域にあったことと、一部転借権が付いていたため近隣の相場より2割ぐらい安く思えたので、私は6800万円で買った。70平米の2LDKだ。当時、私はアルバイトで週2回、ある銀行に行っていたが、その銀行が好条件で(店頭金利よりは低金利で)、ほぼ全額を貸してくれた。

私はそこに住み、そこから東大に通った。しかし、その数年後に、医局の人事で、都内の東大系列の病院に勤務することになった。その病院での勤務は比較的楽で、重症患者がいない限り、午後7時か8時には、仕事が終わった。もともとの私の自宅は、その病院から1時間ちょっとのところにあったので、そこから十分に通勤できる。私はマンションのローンを抱えていたので、買ったマンションを人に貸して、ローン返済の足しにしようと思った。

地元の不動産屋さんに賃貸の仲介を依頼したら、すぐに借り手が見つかった。○○というゴルフ会員権を売買している、いかにもバブル全盛期らしい社員2人の会社が「寮」として借りてくれた。賃料は、管理費などを除いて、月24万円だ。これが相場だったが、表面利回りは3.5%に過ぎない。購入に要した諸費用やローンの金利を考慮に入れれば、実質利回りはこれより大分低い。もちろん、ローンの返済に大いに助けにはなったが。

やがて、バブルが弾けた・・・。

当初は毎月決められた日にきちんと振り込まれていた家賃が、次第に、1日遅れ、数日遅れ、1週間遅れるようになった。1週間たっても、家賃が口座に振り込まれていないことがわかると、さすがに黙っていられない。私は仲介してくれた不動産屋さんに電話して、事情を話した。不動産屋さんは、最初の2,3回は催促の電話をしてくれたようだが、家賃の支払いが遅れることは、改善されなかった。不動産屋さんに電話しても、のらりくらりでまったく誠意をもって対応してくれないので、私は直接借主本人に電話をするようになった。電話をするたびに、「明日払います」などと適当なことを言っていた。家賃滞納はだんだんひどくなり、ついに1ヶ月も支払いが遅れるようになった。

地価の狂乱的な上昇は止まり、下がり始めていたが、多くの識者はこれは一時的な調整で、しばらくすればまた上昇するだろうと話していた。 ちょうどその頃、ある人から電話がかかってきた。ある製品を作っている中小企業の社長から、私が所有しているマンションを譲ってくれと頼まれているという話だった。私は、相手を本当に信じていいのか、騙されるのではないかという気持ちが少しあったし、私も地価がこれから下がるとは予想していなかったので、この話はあまり乗り気ではなかったが、とにかく一度会いたいということなので、会うことにした。私は、まだ20代の若造だったので、少しでも相手になめられないようにと思い、バイトで行っていた銀行で会うことにした。私のバックには銀行がついているから、私を騙すことはできないということを暗に示したかったのだ。

中小企業の社長は実母を私のマンションに住ませたいということだった。私のマンションを選んだ理由は、母は足が悪いので、火事など万が一の時にも階段で降りることができる2階の部屋を探していたとのことだった。相手は9000万円の金額を提示してきた。6800万円で買ったので、税金やローンの利息など諸経費を考えても、損はしない金額だった。今、マンションを借りている人との契約更新まで4ヶ月あった。社長は、その間の家賃を全部肩代わりするので、契約は更改しないと、借主を説得してほしいいうことだった。家賃の滞納が続いていたので、ちょうどいい契機かもしれないとも思った。 そこで、その話を借主にしたところ、意外にもその提案には乗らなかった。借主は、今後家賃はきちんと払うので契約は更新したいと言った。借主がそういう以上、契約を更新しないことは困難だと、当時の私は思った。弁護士に相談すれば、スムーズに引き渡せたかもしれなかったが、私は東大に戻っていて(東大のすぐそばの賃貸マンションに住んでいた)、忙しかったので、この件であまりもめたくなかった。

私は、現状維持を選んだ。売るのをやめて、今住んでいる人との契約を更新することにした。ただし、家賃の支払いが1ヶ月も遅れている状態が続いていたので、賃貸契約を公正証書で行うことを条件にした。相手は、その条件を了承したので、彼と私で公証人役場に行って、公正証書を作った。その時借主にはじめて会ったのだが、40代の、外見はふつうのサラリーマンという感じの人だった。公正証書で賃貸契約を更改したにもかかわらず、家賃の滞納はまったく改善されなかった。1ヶ月家賃の支払いが遅れて、電話をしても、相変わらずの対応だったので、私は次の手段に出た。

まず、配達証明・内容証明郵便を送り、家賃支払いの催促をしたという証拠を作った。それでも、家賃は支払われなかったので、公証役場に電話をして、強制執行をすることにした。借主(私が貸しているマンションとは別の所に住んでいた)の家に執行官は行き、家財道具を差し押さえた。すぐに借主の奥さんから電話がかかってきた。「主人が会社を作って、マンションを借りていることはまったく知らなかった。しかも、そのマンションには愛人を囲っていたこともはじめて知った。それで主人と離婚をした。差し押さえられた家財道具は、私のものなので、差し押さえはやめてほしい」と懇願された。私は、「離婚した証拠を見せてくれれば、差し押さえは解除する」と言った。やがて離婚したことを示す戸籍謄本が送られてきた。偽装離婚の可能性も考えたが、これ以上深入りしたくなかったので、私は差し押さえを解除した。私が貸していたマンションに行くと、もぬけの殻だった。敷金2か月分があったので、金銭的な被害は最小限で済んだ。

その後、3人の賃貸人に部屋を貸した。最初は、2,3か月で賃貸人が決まっていたが、やがて、空室が半年になり、1年になった。賃貸料も最後には月15万円(管理費込にしたので、実質13万円程度)まで減額して、やっと賃貸人が決まった。しかし、その賃貸人は、2年後の契約更新はしないで、また空室になった。

経年変化で、ガスコンロの故障、水栓金具の交換、エアコンの入れ替えなど、所有者が手配し、管理しなければいけないことが多くなり、昼間仕事をしている私には、面倒だった。もちろん、お金さえ払えば、不動産屋さんが代行してくれるが、それは馬鹿らしく思えた。また、賃貸人が退室時には、最初のころは、敷金で壁紙などの張替などができ、家主の出費は0で済んだが、やがて慣行が変わり、経年劣化の場合は家主の負担でしなければならなくなり、退室のたびに出費するようになった。

結局、不動産を所有することにメリットはないと判断し、売ることにした。ふつうは、仲介で売却するが、私は半年、1年も待つのが嫌だったので、不動産会社に直接2000万円で売却した。18年間所有していたことになる。結果として、この不動産投資が金銭的には失敗だったことは、検証するまでもない。不動産投資したいなら、よほどの暇人か資産家でない限り、REITに投資したほうがいいだろう。

ちなみに、そのマンションは、不動産会社が内装のリフォームをした後、2800万円で売りに出され、2か月ぐらいで売れたようだ。

2021年12月26日日曜日

もう一人河童さんがいた!

この河童さんは、私のことを知らないで偶然河童という名称を用いたのでしょうが、あまりいい気分ではないです。私とは別人です。

https://secrets2mysuccess.net

2021年4月16日金曜日

投資人生を振り返る(2)

 今では、インデックス投資のアクティブ投資に対する優位性を知っている人は少なくありませんが、私が投資を始めた1990年代は、インデックス投資は個人投資家の間では一般的ではありませんでした。

当時はアナリストや個人投資家のweb siteを見て「この人はすごい!」と思うことはありましたが、彼(彼女)らの推奨銘柄はその後株価が上がることもあれば、下がることも少なくなかったです。全ての人ではありませんが、、彼(彼女)らは、株価が上がった後で「この銘柄を1年前に推奨していました」と書くことはあっても、株価が下がった銘柄については「この銘柄を1年前に推奨していました」と書くことはありませんでした。彼(彼女)らの欺瞞に気がつき、結局、インデックス投資が最強と悟りました。

それならば、インデックス投資のリターンを少しでも増やす方法はないかと調べて、インデックスを原資産とするCCWにたどり着きました。

個別銘柄投資は面白いので、全くしないわけではありませんが、あくまで「趣味」あるいは「ギャンブル」です。

2021年3月6日土曜日

投資人生を振り返る

米国の長期金利の上昇があり、成長(期待)株の調整がありました。先行きが不透明なので、最近買ったばかりのXBI、DOCU、RIDE、VIH、ZMはこの2週間で売却し、VGTもポジションを落としました。一方で、BA、BP、RIOを買いました。

こういうことを書くと、かつて書評で書かれたように「株価の調整があってブログでアタフタしている様は滑稽でした」と揶揄されそうです。実際には全くアタフタしていなかったですが。 仕事で忙しい方は、無理してする個別銘柄に投資する必要はないと思います。ETFかインデックス投信を買うのがいいと思います。

私が株式投資を最初に始めたのは、1980年代後半です。山一證券でファミコンを使ってしましたが、通信速度が遅く、ホームページでの使い勝手も悪かったので、数回トレードしただけでした。

https://www.youtube.com/watch?v=hu_IHwAFK-M

その後、しばらく仕事が忙しくかつ面白く、株式投資はご無沙汰していましたが、1990年代の後半に今の仕事についてから本格的に再開しました。当時はファンダメンタルズ分析が楽しかったです。その当時からホームページ(当時はブログがなかった)を持ち、今もブログなどを続けている個人投資家は極めて少数です。他の方は、株式投資を止めたのでしょうか?それとも続けているけれどブログを止めただけでしょうか?

2019年9月1日日曜日

年金は破綻してる?

日本年金機構から「ねんきん定期便」が来ました。私は今年60歳になりますが、65歳まで今と同じ条件で働くとして、65歳から受け取れる年金を、日本年金機構のサイトで計算したところ、なんと現在の年収の7%しか受け取れないようです。国民年金と厚生年金の加入です。

これしかもらえないなら、年金に入る必要はないと思いました(勿論、年金は強制加入ですが)。個人での資産運用の大切さを改めて思いました。

2016年12月4日日曜日

「税務調査」に思う

確定申告は「性善説」にたっていて、申告書の内容は、必ずしも証拠がなくても認められていました。

しかし、税務調査ではそうはいきません。そろそろ、税務調査くるかなと持っていたら、案の定、9月2日に来ました。それから3ヶ月経った今も、まだ終わっていません。税務調査は「性悪説」にたっているので、全て「証拠」が必要になります。

今回の税務調査で思ったことは、売買記録は紙に残すべきということです。SBI証券では、2014年より前の取引はネットでは見られず、それを証明するには、1件1050円を支払う必要があります。今週、税務署が「それを全て提出しろ」と言ってきました。

電子交付をいちいちプリントアウトするとか、PCに保存しておく几帳面な人は別にして、私はそんなことはしません。それで、将来の税務調査に備えて、今後の売買記録を全て紙で発行してもらうことにしました。

税務署とのやりとりは、全て税理士にお任せしていますが、あまり楽しいことではありません。

2015年9月15日火曜日

IBMの思い出

バフェットが、現時点でお気に入りのIBMのことについて、少し書こうと思います。

もう20年ぐらい前の話ですが、私は日本IBMの某事業所の嘱託産業医で、週2回日本IBMに行っていました。驚いたことに、その時の米国IBMの副社長の一人は、産業医でした。産業医を副社長にする目的は、産業医学的な視点から労働生産性を高めることと、当時頻発していた労働訴訟から会社を守ることでした。これはIBMだけに限った話ではなく、米国のグローバル企業では決して珍しいことではありませんでした。

その米国IBMの副社長である産業医が、私が産業医をしている某事業所に来た時の話です。副社長が視察して指摘した点は2点。

第一は、薬などを患者(社員)に渡す窓口に、なぜガラスの壁がないのかということでした。 「社員と言っても、信頼できない。中には、頭のおかしい社員もいるだろう。その人が、窓口を乗り越えて、中に入ってきたら、どうするつもりだ?」。

第二は、「頭がおかしいかもしれない患者(社員)が、医師と面談中に、拳銃か刃物で暴れたらそうするのか?」ということでした。

すぐに窓口には、JRの駅の窓口のようにガラスがはめられました。また、医師が面接する診察室の机の下には、守衛室に連絡する緊急ブザーが設置されました。

当時の私は、米国の危機管理の意識の高さに、我彼の差を見たものでした。


2015年8月4日火曜日

養老先生の思い出

私が医学部学生だった頃、「バカの壁」などでその後有名になった解剖学の養老先生が、私と同級生何人かを飲みに連れて行ってくれました。先生は「男と女の脳は違う」ということを非常に強調していたのを、今でも鮮明に覚えています。それ自体は昔から言われていることで、その後も「話を聞かない男 地図が読めない女」という本がベストセラーになりました。遺伝的か、先天的か、後天的かなどの議論はあるとは思いますが、この本のかなりの部分は納得できます。

現在、私が勤めている金融機関では、アクティブ運用のファンドのファンドマネージャーはほとんどが男性ですが、 パッシブ運用やパッシブクオンツ運用では、女性のファンドマネージャーもかなりいます。

上司は「女性の繊細で緻密なところがパッシブ運用に向いているからでしょう」と言っていますが、これは本当に女性がパッシブ運用に向いているのか、あるいは会社(上司)が「アクティブ運用=アニマル・スピリット=男性」という先入観や思い込みで、単にパッシブ運用に女性を多く採用した結果なのか、判断に迷います。